自然が作り出す絶景と臀部にまつわるエトセトラ@神農峡


9月30日

前回から続きマス。

客船が宜昌を出航してから2日目の朝がやって来た。
夜の間に客船は少しだけ進んでいたようだ。

前日の三峡ダムは地名で言えば、まだ宜昌だったのだから
重慶までの距離を考えると、、、10分の1も進んでいないのね。

停泊していたのは、巴东という地。
長江が暴れたらひとたまりもなさそうな・・・そんな河沿いの街。

コノ日は朝7時半から観光がスタートするので、より朝が早い・・・(´0`)ゞファー

朝食バイキングはちゃんと毎日内容が変わる。

朝食後はまたグループに分かれて観光に向かうことになった。
(グループメンバーは毎回変わる、我々は外国人チームでそれほど母数が多くないから大差はないケド)

今回の観光は客船料金に含まれているもので、基本的に全員参加のもの。

客船からコノ小型の船に乗り換える。

最上部は人も多いし、座る所がないので、2階席に落ち着くことにした。

小型船で神农峡(神農峡)を遊覧することになるらしいのだが、、、
そのチケットが(笑)

キャー!!!

男性の尻・・・いや、臀部が臀部が臀部がーーーーっ(*/∀\*)イヤン

朝っぱらからなんてものを

男性の裸体よ♡裸体よ♡と愉快な仲間ちゃんと盛り上がっていたら
ガイドさんが
「今からソレも見られますよ(ニッコリ)」デスって♡





「でも服は着てマスから(ニッコリ)」





(゜ω゜=)え?





コチラ神农峡(神農峡)の遊覧では、雄大な渓谷を楽しむと共に、
ここで暮す少数民族トゥーチャ(土家)族の文化にも触れることができる。
過酷な立地なので、生活する上での物資の運搬には舟が欠かせないそうだ。
コノ裸体の男性達の写真は、縄を使って舟を岸に引っ張り上げている姿なんだって。

かつては衣服の調達も困難だったため、服が濡れて汚れたりするのを避けるために
裸になってこの作業をしていたが、文明的な生活ができる現代では脱ぐ必要がないって・・・




ちっ、脱いでもいいのに・・・・・(҂ ー̀дー́ )、




べ、別に臀部がすごく見たいってわけじゃないくてねー
少数民族ならではの文化をお見せして下さるっていうのならば
かつての姿をそのまま見せて下さってもいいんじゃないの?
っていうだけの話デスわ。

決して、そこだけ日焼けしていなくて白いのが妙に艶かしいわ〜♡
ってことで臀部が見たいわけじゃあないのよっ。
↑ 久々の男性の臀部に興奮しているただのBBAなのがバレバレw

そうこうしているうちに小型船は神农峡に入っていく。
船内の窓越しだと景色があまり楽しめないので、結局2階のデッキ部分に出ることにした。

岸壁に見える赤い文字・・・

神农峡(神農峡)

こうやって赤い文字で書いちゃうのが中国流。
あまり情緒がない気がするのはワタクシだけだろうか?
(こんな断崖絶壁に文字書くってこと自体はスゴいんだケドね)

前日に通過した西稜峡、コノ日の午後には通過することになる巫峡、瞿塘峡の3つが
三峡と呼ばれる長江本流にある大きな渓谷だが、
これから向かう神农峡(神農峡)は長江の支流にある渓谷。

神农峡(神農峡)はさらにいくつかの渓谷からなっており、コチラは龙昌峡。

目の前を通り過ぎていく切り立つ崖は迫力満点!
朝の光を浴びてキラキラとしている姿を見ると、早起きした甲斐があるってもんだ。
長江本流よりも狭い渓谷の中を小さめの船で進んでいくので
目線が低く、それゆえに周辺の崖がより大きく険しく感じられるような・・・

一旦視界が一気に開ける。
険しい山がなくなりなだらかになっている箇所に小さな街が出来てる。

少数民族のトゥーチャ(土家)族が暮らしている集落なのでしょう・・・

この神农峡(神農峡)ツアーに同行しているガイドの皆さんも
トゥーチャ(土家)族の方々。

マイクで話している女性が我々のグループを率いて下さった
英語ペラペラのガイドさんなのだケド、フィギュアスケート荒川静香さんの
ようなクールビューティで常にニコニコ〜とされていた。
なんだかやっぱり漢民族とはちょっと違うw

一旦開けた後に、再び渓谷に突入していく。

お次は鹦鹉峡(鸚鵡峡)

船からでないと見ることが出来ない絶景が続く。

人の気配を感じない渓谷を進んでいくと、ずいぶん奥地まで来たもんだと思う。

野人伝説なんていうのもあるらしい・・・(ી(΄◞ิ౪◟ิ‵)ʃ)
いそうだよね、コノ雰囲気だと,,,,,

大きな亀裂が見えて来た。

自然がえぐりだした大きな洞窟・・・
そして、右上にパックリと口を空けた大きな穴。

ココも、棺がおさめられている。悬棺(懸棺)と呼ばれる葬法だとか。

前日の三峡人家でも見ることができたケド、
大きな機械もなかった時代に人力だけでどうやって棺をあそこまで運び上げたのか・・・
現代でもソノ謎が解明できないというところがミステリアスで興味深い。

大きな洞窟の内部もまた、
自然の浸食によって小さな鍾乳洞みたいなものができていて、、、
中を見学できるツアーとかあったら面白いのになぁ。
神聖な場所で立ち入ることは許されないのだろうか?

なんだか景観を壊すような近代的な橋?高架道路?が見えて来たが
生活の利便性を考えると仕方がないよね。

その一方で野生の山羊を見ることが出来たりと、やはり自然力がすごい。
野生の猿もいたようだが、ワタクシは確認することができなかった。

ものすごい光景だ。
ちなみに、神农峡(神農峡)一帯も、三峡ダム建設により水位が
大幅に上がったそうだから、ダムが出来る前の方がもっと迫力があったのかもしれない。

約1時間ほどの小型船での遊覧後、たどり着いたのは奥地にポツンとある停留所。
ちなみに、河の上にフロートを並べて、その上に建物が建っているというツワモノ!!

ここで待ち受けるのは、、、

木造の手漕ぎの舟だ。
アノ!チケットの写真にあった裸体の男性達が臀部をさらして
曳いていたアレだ。

勿論、舟を漕ぐ為にスタンバイしているのはトゥーチャ(土家)族の男性達♡

が、、、

服着ててくれて良かったわw

おっさんばっかりじゃんwww(失礼な!)

これでは、写真のようなたくましい臀部など期待できない。
ハイハイ、ちゃんとお服着ててねー。
でもガイドさんが民族衣装を着ているのに、コノ方々は普通の洋服。
・・・せめて民族衣装を着ていてほしかったような気がしないでもない。

こうして、更に奥地へと進んでいく。

まず最初に、チケットの写真にもあったロープで舟を引っ張るっていうのを
見せて下さるわけだ。

コレが、(゜ω゜=)え?っていう位に面白くもなんともない(笑)

なんせ、臀部見えないし,,,,,って、そこじゃない!

三峡ダム建設によって水位が上がってしまったために、
チケット写真にあったような浅瀬が水没してしまい、
岸まで水が充分にあるもんだから、ロープがピンと張るほどに
力を入れて曳かなくても浮力によって舟が岸に吸い寄せられちゃう。


全体像を見ると、その面白くなさがより伝わるかと・・・w

そもそもが舟を漕いでいたおっさん達が岸に上がる段階で、
すでに接岸している状態に近いわけで、、、
わざわざ引っ張る意味あるのかよ??と思われる(笑)
え?今のがアレだったの??と拍子抜けするほどあっけなく終わり
再び舟に戻って来るおっさん達。

気を取り直して、進む小舟。いい景色だ✨

トゥーチャ(土家)族の皆さんの生活道路、、、っていうか吊り橋。

この吊り橋が出来て、移動距離がかなり短縮されたとガイドさんがおっしゃっていた。
それでも、街に出て生活物資などを調達したりするのは今でも水運が頼りなので
山の上にある集落の家から河まで片道2時間は歩いてこなければならないとか。

移動手段が徒歩か舟しかないってすごい世界だ・・・

トゥーチャ(土家)族の文化や生活についてガイドさんが色々お話しして下さった。
その中で特に印象的だったのは、家庭に女の子が生まれると庭に木を植えて、
お嫁に行くことになった時にその木を切って家具を作るという話。

「だから、木がいつまでもそこにあるとまだお嫁に行ってないんだなって分かるんです。」

だってーーーーーっ!!
ぎゃーいつまでもお嫁に行けないとなんだか恥ずかしいじゃないの!!
ワタクシだったらこっそりバッサリ切り倒してしてやるわっ( ̄‥ ̄)=3 フン

より狭い渓谷なので、迫力のある崖が目の前に迫ってくるようで圧巻の眺め。

我々の小舟・・・デブばっかりだったんだろうかw

2番目に出発したはずなのに、どんどん抜かされていく。

ガイドさんが漕ぎ手の方々を励ましましょう!!と音頭をとって
みんなで「加油加油加油!」と応援するが、遅れを取る一方だ。

我々2人以外はガタイの良い欧米人だらけなんだから、
中国人客だけを乗せている舟よりは、まぁ重いんだろう。
どれだけ加油!と言っても進まないものは進まないw
漕ぎ手の皆さんもゼーハー言ってて、なんだか申し訳なくなる(笑)

コノおじさんが立っている場所がUターンポイントのようだ。
(コチラの方は一番最後の舟に同乗して元の停留所まで戻るらしい)

戻りはトゥーチャ(土家)族であるガイドさんが民族の歌を歌ってくれたりした。

で、、、CDとか本を売りつけ・・・いや販売し始めた。


↑ 本でも、やはり売りは臀部w

なんでも、あの!ビルゲイツがここを訪れたことがあるそうで、
いたく感動したビルゲイツが、トゥーチャ(土家)族の青年に
「是非、ここの文化を伝える本を出すべきだ!」と勧めたことから
まとめられたそうだ。

こうした本の売上が少数民族の貴重な収入源なんです!と切々と訴えられた。

ま、買わないケド,,,,,

フロートで浮かぶ舟着き場に戻って、再び小型客船へ乗り換える。
舟を降りる時には手を貸してくれたが、ガサガサに荒れた武骨な手だった。
仕事を終えた皆さんは、徒歩で2時間かけて家に帰るのだろうか・・・
素朴でとても良い方々だったなぁ。

小型客船で、戻る頃には日も高くなってきていて、
景色も行きとはまた違って見える。

青空の下で見るとより美しい✨

行きは見逃した光景もしっかりチェックしなきゃ。

コチラは、象の形に似ているということだ。
どこが象なんだ?とさっぱり意味が分からなかったが、
横を向いた象の顔が3頭並んでいる感じに確かに見えなくもない。
緑に覆われたなだらかな岩肌が象のあの長い鼻を思わせる。

なる?ほど?

コノ中央付近に見える亀裂にも棺がそのままの状態で置かれているそうだ。

肉眼では確認できなかったので、写真を拡大してみた。

すごい!本当にある・・・
崖の亀裂の間に木の板のようなものを渡して、その上に棺を乗せている。

土葬だったりお骨を海に撒いたりだったりと同様に
死後は自然に還るという思想から来るのだろうか?
かつてこのような悬棺(懸棺)を行っていた時代にココで暮らしていた
トゥーチャ(土家)族の方々にとっては自然に還る=崖の中だったのかもしれないと
(勝手に)妄想する。

さようなら、神農峡・・・

・・・つづく

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